【終わりは始まり(2)】
♪風の流れの 激しさに 告げる思いも ゆれ惑う ♪かたくなまでの
一筋の道 愚か者と笑いますか もう少し時がゆるやかであったなら…
(愛しき日々)。
会津白虎隊をテーマにしたドラマの主題歌、堀内孝雄が歌いヒットした。
白虎隊は映画やドラマの題材に取り上げられ悲劇が美化され涙で風靡した
事実は否めない。
しかし、涙の美酒に酔い現実を見失ってはいけない。
その後、敗残の徒、彼らの人生は!
その現実の人生は本州北端の地、下北半島に戸南藩として領地替えと
なり刀を鍬に替えて生きることとなった。不毛の地に鍬をたてる、まさに貧
との格闘の日々だったろう。
その頃、西郷頼母(会津藩家老)は・・・。
西郷隆盛が西南戦争に祭り上げられる頃になると、頼母もにも厳しい追及
が始まる。
隆盛に頼母が味方したとして宮司の職を解任された。頼母は戊辰戦争時
代、守りの要であった白河(福島県)の総大将であった。その白河にほど近
い、都々古別神社(つつこべつ:福島県棚倉町)の宮司をしていた、失った命
の鎮魂であったろう。
しかし、暫くすると日光東照宮の宮司をしていた松平容保(旧会津藩主)に
呼ばれ日光権現の禰宜となる。
皮肉と言うか、めぐり合わせというか、徳川の最後の先鋒となり賊軍と化し
たものの、再び家康を神として仕えることなった。
頼母は一人の男子を養子に取る。四郎(後の姿三四郎のモデル)だ。
その理由はこれからジックリと。
西郷頼母家には家伝・合気武道柔術が奥義として伝わっていた。頼母こそ
が一子相伝者であった。
養子四郎(姿三四郎)のことは一般に知られているのでここでは書かない。
頼母、還暦近くになり霊山神社の宮司となった。
霊山神社(福島県伊達市)は南朝時代の北畠氏を祭った北の砦である。
筆者も何度か尋ねているが大鳥居をくぐるとうっそうとした林に囲まれ
眼前には切り立った山肌が見える、スピリチャルな雰囲気がする場所だ。
実際に筆者がここを尋ね、頼母の幾代か後の宮司に会って話を聞いた・・・。
頼母と合気道について。
この話は、来週します。トリャー。
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【活動報告】
8/5 親子環境社会科教室(民友新聞社主催)
8/6 親子市政見学会(福島市)13:30
8/15 安全離着陸講習会・BBQ(10:00〜)
8/16 定期会計監査
8/21 いきいき福島推進大会【代表参加:斎藤・清瀬】
【活動予定】
=====【年間行事計画(予定)】===☆=========☆★=
【10/10〜10/17】を「 銀の翼週間 」とします
10/10〜11 全日本曲技飛行競技会
10/10 ミッレミリア クラシックカーレース
10/16〜17 エアロスピリッツりんご祭
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